水からうかび上がるように、ゆっくりと意識が顔をのぞかせる。すぅ、すぅ、すぅ と規則正しくきこえる微かな音が、自分の呼吸音だとためらいがちにわかりだす。手足を動かそうとして、固い板のような重さにあきらめ、体をひねろうとすれば糊のきいていたワイシャツの襟が、頬をやわらかく引っ掻いた。かおる繊維と、よく知る誰かさんの匂い。体全体を包み込む別の体温の温かさに、私はようやく眠りというとろり、とした甘い死から、現実の生へと覚醒をする。


ベッドサイドの時計はAM3:35をつげていた。
その脇に無造作におかれた眼鏡「あ・・・」と思えば、私がいつも見ようとして隠される一対の瞳がすぐ目の前にあった.。切れ切れとした細い睫毛の上で、彼の呼吸にあわせて栗色の髪がゆれ、その一筋が私の額にかかっている。近くで、頬にかかる寝息のくすぐったい感触に、身をよじりそうになる。

しっかりと腕を私の体にまわして、柳生はふかく、とてもふかく寝入っていた。やすらかな寝顔、彼にふさわしい優しそうな・・・なのにその抱きしめ方といったらおもちゃを取られたくない子供のようで、私の背にぎゅっとまわされた左腕と、胸のあたりに軽くあたる右手が“自分の所有物”という証を無言でみせつけていた。暖かい拘束をむりに解かずに、かろうじて動く目を隅の机に向ければ、つけられっぱなしのテーブルライトに照らされて、書き途中の大学のレポートが、PC画面の中で沈黙していた、横におかれた紅茶のカップからは、とうに湯気が失せている。この何事もおろそかにしない彼らしくない途中放棄と、着衣を脱がずに横たわる様に、私は簡単で可愛らしい願望を期待してしまう。

                   
休憩がてらに私の寝顔を見に来て、そのまま「少しだけ」と
添い寝をしてしまったんだー

                   
この想像は私を幸福にさせ、再度彼の端正な顔を見つめさせた。皮膚のうすい瞼、ふう、といたずらに息を睫毛に吹きかけてみる、すると「・・・ん」という無防備な声が。思わず笑いそうになり、いけないと慌てて口をつぐむ。いつもの「ーなさい」とか「ーでしょう」とか、そういう私をたしなめ、落ち込ませる丁寧な言葉ではなく、とっても小さくて可愛げのある“・・・ん” こんな彼はすごく貴重だ。すべてから隠して、自分だけの秘密にしてしまいたくなるような、こんな彼の一面を他の人達は知っているのかしら?とくに、あの屈強そうな彼のお友達たちは・・・?ふきかけられた息がくすぐったいのか、向きを変えて私の肩に顔を埋めようとする彼の様子に、いつも紳士然とした態度をとられた後に、なぜか残る寂しさと、物足りなさがやわやわと氷解してゆく。胸にふれる腕が、もう少し乱暴であれば良いのに。

                   
「・・・

                   
おもむろに彼の口からもれた寝言、そのさんづけをはぶられた自分の名前にドキッ、と心が騒ぐ。「いくら恋人同士とはいえ礼節は弁えたいのです」こんな事を言ったのは誰だろう?心の中ではいつもそういう風によんでいたの・・・?しようのない人だと微笑み、私はそれに小さく答えようとして、寝ている人間の言葉には返事をしてはいけないという迷信を思い出す、魂があちら側にとどまってしまうらしい。それならばと、かわりに私は彼のうすく開かれた唇を、自分の唇で塞いでやった。彼の優しい魂は、甘く私の喉奥に吸い込まれる。


時刻はまだ4時にも満たない。窓の外はいまだに暗く、テーブルのライトだけが、私たちが同棲するこの部屋を照らしている。よれたシーツを彼の肩にかけなおして、ついでにすっぽりと自分の頭も入れてしまう。人工的な布の繭の中で聞こえる、規則正しい彼の呼吸音と、そのリズムに数秒遅れてついてゆく自分の細い呼吸音。まわされた腕は、変わらず私の背中の骨にあつらえた様に、ぴったりと這わせられている。その温かさにうとうとと溶かされる。とろり、とした睡魔がまたふたたびやってきた。

柳生と一緒に眠れるということ、柳生の体温を感じれるということ
柳生の心臓の音を一番近くで聞けるということ・・・・・柳生を愛し、そして愛されているということ。

                   
これらすべての“ふたり”という幸福。

                   
胸に痛いぐらいその重さをだきしめて、最後に見える天井に「おやすみなさい」と目をつぶれば、私はひとり。










10218